ゼロの氷竜 九話

ゼロの氷竜 九話


ルイズに召喚された日の晩にタバサたちと別れた後、ブラムドは確信と共に一つの魔法を
使う。
それは自らを探知する魔法を打ち消し、魔法の種類と術者の居場所を探る魔法。
『感知対抗(カウンターセンス)』
確信通りその身を探る術者の存在を知り、ブラムドは再び『飛翔』を唱えて術者のもとへ
と飛ぶ。



突然、鏡が本来の姿を取り戻す。
そこに映るのは年老いた男、学院の長であるオスマンの姿だ。
「はて?」
とつぶやき、オスマンは再び鏡を働かせて先刻の場所を映させる。
しかしそこにはすでに人影はない。
「むぅ……」
眉根に皺を寄せながら、オスマンは辺りを映して目標を探す。
『解錠(アンロック)』
窓の鍵が外から開かれ、そこから輝くような銀髪を持つ一人の女が姿を現した。
「どこの世界にも、似たような品物があるのだな」
窓の開く音、そしてかけられた声に、オスマンは頭をかきながら顔を向ける。
それはまるで、いたずらを見つかった子供のように見えた。
銀髪の女は笑みを浮かべながら室内を見渡し、視線の先にあった応接用の座席へと座る。
オスマンもまた、銀髪の女の向かいに腰掛ける。
「似たようなもの、というと鏡ではないのですかな?」
「魔術師たちが持っていたのは、遠見の水晶球という品だ。鏡を見た後であれば、その方
が広く見渡せそうだがな」
銀髪の女は自らの身長ほどある鏡を指差しながら、不意に顔をしかめる。
「いかがなさいました?」
「いや、思い出したくないものを思い出してな」
オスマンはこの偉大な竜をして不快にさせるほどの何かに、強い興味を引かれたようだっ
た。
「差し支えなければ、お聞かせ願えまいか」
銀髪の女の姿をした竜、ブラムドは大きなため息をつき、訥々と語り始める。
自らが、かつて一つの魔法の品に囚われていたこと。
その身を縛る魔法によって、ことあるごとに激痛にさいなまれていたこと。
いくつもの命を、激痛のため意に沿わず奪ったこと。
そしてその縛り付けていた魔法の品が、真実の鏡ということ。
「真実の鏡?」
「うむ。どのような場所でも映し出し、人を映せばその心までもあらわにするといわれて
おった」
「なんともはや、恐ろしい代物ですな」
オスマンは、額ににじむ汗を袖口でふき取る。
「我のような竜と違い、お前たち人間にとっては喉から手が出るような品ではないの
か?」
微笑みながらいうブラムドに、オスマンは苦笑を返す。
「否定することは出来ませぬがな。人の心を暴くような品は、あってはならぬものです」
苦笑を浮かべながらも、オスマンの言葉も目も、真意を語っている。
それは『虚言感知』を使うまでもない。
その様子に、ブラムドは改めてこの老人を信頼することに決めた。



オスマン、我はルイズに感謝しておる。故に、ルイズの生ある限りは忠誠を誓おう」
その言葉を聞くまでもなく、オスマンもまたブラムドを信頼している。
この強大な竜が、何の利があってルイズに従うだろう。
たとえどんな利があったとしても、人が地を這う蟻に従うようなことはないだろう。
ブラムドにとっては地を這う蟻の一種でしかないオスマンに、こうまで礼を尽くす意味は
ない。
その行動は、ブラムドのオスマンへの信頼をあらわしている。
何よりもこの竜は、人を殺したと口にしたとき、はっきりと苦悶の表情を浮かべていた。
それをわかっていながら、オスマンはブラムドを監視せざるを得ない。
オスマンの力では、どうやったところでブラムドをとめることが出来ないからだ。
そしてこの学院に通う生徒たち、いや教師も含め、選民意識に凝り固まった人間たちは、
ブラムドの逆鱗に触れかねない。
たとえどれほど強くオスマンが言ったところで、可能性をなくすことなどできないだろう。
いっそのこと、一度ブラムドに力を振るってもらうか。
しかしそれをしてしまえば、ミス・ヴァリエールはさらに孤立することになりかねない。
であれば。
「頼みが、あるのではないか?」
口を開こうとした瞬間、オスマンはブラムドに先手を打たれた。
それは、あたかもブラムド自身が真実の鏡を使ったかのように、オスマンの心を見抜いて
いた。
「かないませぬな」
オスマンはどこか諦めたような、それでいてどこか晴れやかな表情を浮かべる。
「はっきりいいまして、この学院にいるメイジたちは幼い。それは実際の年齢ではなく、
精神のありようとしてです」
カストゥールの時代を生きたブラムドにとって、オスマンのいいたいことの予想はついて
いた。
「確かに、メイジと平民との間には決して越えられぬ壁があります。だがそれは絶対に、
人間として上等か下等かということではありません」
魔術師たちが、それ以外の存在を奴隷として扱った歴史を見ていれば、力を持った人間の
醜さを知らぬはずもない。
「しかし、そうとは思わないメイジがこの世界の大半を占めています」
それでもブラムドは、その醜い面が人間の一面に過ぎないことを確信している。
「無論、ミス・ヴァリエールをはじめとして、メイジも平民も等しく人間だと知っている
ものもおります」
カストゥールの時代に生まれながら、自らに魔法を教えたアルナカーラがいた。
オスマンのいうように、平民を人と思わぬ人間が大半を占める世界で、シエスタという平
民を大切な友と呼んだルイズがいる。
「もしブラムド殿の機嫌を損ねる人間がいたときには、たしなめる程度にとどめていただ
きたい、というのがわしの望みです」
オスマンは、私闘を禁じないと明言した。
ただし、その言葉には別の意図も含まれている。
増上慢をたしなめられるのも、一つの勉強だと。
ブラムドはオスマンの言葉を正確に理解し、どこか人の悪い笑みを浮かべながら首肯する。
「尻を叩く程度に我慢すると、約束しよう」
その言葉に、オスマンは自身の言葉がことのほか正しく伝わったことを理解した。
つまり、決して殺すような真似はしないと。
二人の年経た存在が、鏡に映したかのようにどこか人の悪い笑みを浮かべていた。



ルイズが石を爆発させた後、教室をでたブラムドはオスマンの部屋を目指していた。
しかし、その歩みは確信を持ってはいない。
さらにいえば、最短の道を進んでもいない。
端的に言えば、迷っていた。
昨晩一度いっているため場所の見当はついていたが、基本的に洞窟や洞穴で生活する竜に
にとって、人間の住む建物の構造はどこか理解しがたい。
かつて魔術師に囚われていたときも、移動の際には案内役がついていた。
……まぁいざとなれば飛べばよいか。
そんなことを考えるブラムドの行く先に、見覚えのある薄い頭の男が現れる。
「やや、ブラムド殿。ミス・ヴァリエールは一緒ではないのですか?」
「ルイズと授業に出ておったが、中止になった。ルイズは教室を片付けておる」
授業の中止、そして教室の片付けという言葉に、薄い頭の男は表情を曇らせる。
「もしやミス・ヴァリエールが……?」
「うむ。石を爆発させた」
「そうですか……、もう爆発することはないかと思っていたのですが……」
その言葉に、ブラムドは目の前の男がルイズに気をかけていたことを知る。
「そのことでオスマンに話がある。おぬし、名はなんと言う?」
「私はジャン・コルベールと申します。コルベールとお呼びください」
コルベールは朝食の際、オスマンに言われたからか、それとも元々そうなのか、どこか緊
張したような動きでブラムドへ挨拶する。
「ではコルベール、オスマンのところへ案内を頼む」
「は、や、あの……」
「どうかしたか?」
言いよどむコルベールに、ブラムドは怪訝な表情を浮かべる。
「ミス・ヴァリエールの片付けの手伝いなどは?」
その言葉に、ブラムドはコルベールに笑顔を向ける。
コルベールはブラムドの正体を知っているとはいえ、現在の姿は妙齢の女性であり、自分
が見た中でも一、二を争うほどの美女である。
それゆえ、異性とあまり交流のないコルベールは二の句を飲み込んでしまう。
「それは我が従者がしておる」
「は?」
とっさに言葉を返すことの出来ないコルベールを尻目に、ブラムドは自ら言葉を継ぎ、オ
スマンの部屋へと歩みを進める。
「それにな、ルイズを手伝う人間もいる」
教室内で孤立していたルイズを思い返し、コルベールは頭に疑問符を浮かべて立ち尽くし
てしまう。
「案内はどうした?」
ブラムドの言葉に、コルベールはあわてて先導する。
……従者? 昨日はそんなものはいなかったはずだが。使い魔に従者か……
「おぉ!!」
先導しながらも、どこか考え事をしている風情だったコルベールが突然立ち止まった。
不意に声を上げて立ち止まるコルベールに、ブラムドは不審な顔をする。
「ブラムド殿、使い魔のルーンを見せていただけないでしょうか?」
「使い魔のルーン?」
「ミス・ヴァリエールとの契約の際、体に刻まれているはずなのですが」
契約といわれたブラムドは、そういえば、と左手をあげる。
そこには刻まれたルーンが、鈍い光を放っていた。
「これか?」
「おお、珍しいルーンですな」
いいながらブラムドの手を取ったコルベールは、手のひらの感触に違和感を覚える。
そしてその違和感の通り、ブラムドの手のひらには傷がついていた。
「これは!?」
「先刻の事故の折であろう。大したことはない」
「いや、そういうわけにもいきません」
とはいうものの、火のメイジであるコルベールに怪我の治療は出来ない。
手近な布を破ろうにも、メイジの服には固定化がかかっている。
困り果てて辺りを見回すコルベールは、窓の外に二人のメイジがいるのを発見した。



一人はギーシュ・ド・グラモン、シュヴルーズと同じく土を司るメイジ。
人間関係、特に男女関係に課題を持つが、土のメイジとしての能力は低いものではない。
だが彼はコルベールの助けにはならない。
少なくとも今は。
しかしもう一人、その向かいで笑顔を浮かべる長い金髪を縦に巻いた少女、モンモラン
シー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは、コルベールにとってまさに天の
助けといえた。
「ミス・モンモランシ!!」
窓から呼ばれる声に、二人の年若いメイジはどこか不機嫌そうな表情を浮かべて振り向く。
もちろん、呼んだ人間が教師であるコルベールだとわかり、不機嫌そうな表情だけは押し
隠していたが。
かすかに笑顔を浮かべながらコルベールに近づいたモンモランシーは、その傍らにいた人
間がブラムドであることを見て取り、ほんの一瞬その身を固めた。
咆哮による恐怖が、払拭されていなかったのだろう。
その後ろから歩み寄るギーシュもまた、表情や態度に表すことはないものの、瞳ににじむ
畏れを隠しきれてはいない。
二人のおかしな態度に、気付いていながら気付かぬ風を装うブラムドと違い、コルベール
はまったく気付いていない様子だった。
その観察力のなさに、ブラムドはコルベールの教師としての能力に疑念を抱く。
教師というものは、ただ生徒のことを心配していれば良いというものではない。
そしてその疑念は、直後に形となって現れる。
「彼女はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ、彼はギーシ
ュ・ド・グラモン、二人ともミス・ヴァリエールと同じクラスです」
モンモランシーはスカートの裾を摘んで少し広げ、小首をかしげるように挨拶をする。
「モンモランシとおよびください」
ギーシュは右手を前に、左手を後ろにし、軽く腰を曲げる。
「グラモンとおよびください」
貴族らしい優雅な挨拶に、コルベールは満足げに微笑む。
「ミス・モンモランシ、ブラムド殿が左手に怪我をしているようなので、みてやってもら
えるかな?」
コルベールはモンモランシーに事情を説明し、ブラムドへ歩み寄るその背中越しにブラム
ドへと説明する。
「水のメイジは怪我の治療などを得意としまして、彼女はその使い手としてなかなか優秀
な生徒なのです」
「ほぉ、水はそういった力を持つか」
ブラムドがかつていたフォーセリアでは、神に仕える司祭がその役目を果たし、魔術師は
回復や治癒に属する力、他者を癒すような力を持つことはない。
対象の精神力を奪うような魔法もあるが、それは相手に精神的な打撃を加えるのが主な目
的であって、自身の精神力を回復させるのはあくまで副次的なものだ
大属性の内で水に関する魔法も、氷雪によって敵を凍らせる『氷嵐(ブリザード)』く
らいしかない。
ハルケギニアで常識的な水の力も、ブラムドにとっては興味深いものにうつる。



傷の状態を確認したモンモランシーは驚かされる。
裂けているのは手の平の中心だが、少しずれれば骨に食い込むような深さだったからだ。
しかもその傷の深さに比さず、異様に出血が少ない。
したたり落ちるではなく、あふれるように流れ出ていてもおかしくないはずだ。
だが、その出血は手の平ににじむ程度に過ぎない。
おそらくルイズの爆発で傷付けられたのだろうが、モンモランシーは頭に疑問符を浮かべ
た。
四人が今いるこの場所と教室、そして医務室は延長線上にはない。
それをこの深い傷を放置したまま、何故こんなところに?
「どうかしたか?」
傷を見た瞬間に動きを止めてしまったモンモランシーに、ブラムドが声をかける。
「い、いえ。傷が随分と深いので」
「大したことはあるまい。骨にも筋にも問題はない」
こともなげに手を握ってみせるブラムドに、モンモランシーは目を見張る。
「と、とりあえず治します」
マントの内側に入れてある緊急用の水の秘薬と杖を取り出し、モンモランシーはルーンを
唱え始める。
不思議そうな表情を浮かべるブラムドに、説明好きのコルベールが言葉をかけた。
「小さな傷であれば無用ですが、大きなものになると水の精霊の力を秘めた水の秘薬が必
要になるのです」
水の精霊、という言葉に反応し、ブラムドもまた魔法を使う。
『力場感知(センスオーラ)』
それは魔法の源であるマナだけではなく、精霊力をも感知する魔法。
傷口に垂らされた水の秘薬には、確かに水の精霊力が感知できた。
しかしその力は異常なほど強い。
身近な周囲に満ちる下位の精霊ではなく、自然界の法則を司る上位精霊の力だ。
あまりにも無造作に巨大な力を振るう水メイジの姿に驚くブラムドの表情を、コルベール
は怪我の治癒に対しての驚きと勘違いする。
「東方にはこのような魔法はないのですか?」
問われた言葉で勘違いに気付くブラムドだったが、勘違いを正すのも面倒と思って話を合
わせる。
「うむ。我のいた場所では、破壊の魔法ばかりだった」
破壊の魔法ばかり、という言葉に、コルベールの表情にわずかな影が差す。
ブラムドだけがその影に気付いたが、生徒たちに聞かせたい話でもないだろうとあえて問
うことはなかった。
やがて、モンモランシーの治療が終わる。
「終わりました」
「ほぉ、跡形もないのう。礼を言おう、モンモランシ」
傷の様子を確かめ、ブラムドは微笑みながらモンモランシーの頭をなぜる。
「その水の秘薬とやらも、安いものではあるまい? いずれこの借りは返そう」
「や、私が頼んだことですので」
コルベールは慌ててその言葉に応えたが、ブラムドは笑みを消して反論する。
「コルベール、我はオスマンのいうように客分ではあるが、出された食事をただはむよう
な真似をしているつもりはない」
そしてブラムドはモンモランシーに向き直り、笑みを浮かべて言葉を重ねる。
「今すぐに、というわけにはいかぬが、この借りは我の力で返させてもらおう」
その言葉には高い誇りがうかがえ、コルベールは反駁することができない。
一方でブラムドは、一つの疑問を抱えている。
コルベールの言葉からすれば、自身の傷は浅いものではなかったといえる。
しかしそれほど強い痛みは感じていなかったし、出血も激しいものではなかった。
人の体はそれほど痛みに強く、強靱なものだっただろうか。
答えを見出せないブラムドを笑うように、左手のルーンが鈍く輝き続けていた。